「現像バットに、粉砕バット」
「しつもーん。これはどーして『粉砕バット』というんですか?」
「粉砕するためのバットだからだ」
                       『究極超人あ~る コンペで勝負の巻』

光画部の備品としておなじみ「現像バット(写真現像用バット)」だが、実は粉砕バット(野球用バット)は異なる単語であって接頭語で区別する必要はない。しかもこの名称は日本独自のものであり、英語圏では使われていないことがわかってきた。調理器具としても普及している「バット」の独自性について、現在までわかってきたことを第1弾として記しておく。

写真現像用バットについて

印画紙に写真をプリントする際に使われる容器を、日本語で「写真現像用バット」と呼ぶ。長方形の浅型トレイ状の容器で、六切、大四切、キャビネといった印画紙サイズに合わせて複数のサイズがある。角に液体を流し出すための注ぎ口、底面にX字まはた平行の畝や溝がつけられていることも多い。畝は印画紙が底面に密着して取り出しにくくならないよう、少し浮かせるためのものだ。プリント工程だけでなく、シート状のフィルム現像に使用されることもある。暗室用品としては欠かせない器具だ。

この写真用品の現像用バット(以下、「現像バット」)の「バット」の綴りは「vat」である。「ヴァット」とカタカナ表記することもでき、野球用品の「バット(bat)」とは表記だけで区別が可能だ。

vatの辞書上の意味は、染色や製紙などに使う「桶」のこと。染料を満たして糸を浸す、溶かしたパルプを入れて製紙作業を行うための容器のことで「染色桶」「製紙桶」といった訳語がある。動詞のvat、vattingもあり、モルトウィスキーをブレンドする工程のこともヴァッティングという。vatで画像検索してみると、多いのが丸い桶の画像(※)。製紙用では四角い、上部が開いたバスタブ状の容器が使われることも多く、tub、tankと親しい単語であることがうかがえる。
※「VAT」(付加価値税)が圧倒的に検索上位

英語圏ではdeveloper tray

3-trays

一方で、英語圏で現像用の容器を意味する言葉は「photo developing tray」「developer tray」「darkroom tray」だ。それぞれ「写真現像トレー」「現像トレー」「暗室トレー」。1960年代に創業されたイギリスの暗室用品メーカー、パターソンのWebサイトでは「developing tray」の名称で販売されている。角の注ぎ口や底面の畝といった特徴も同じだ。

英語で現像バットは現在ほぼ上記のdeveloping trayまたはdarkroom trayと呼称されており、vatから名称が変化したといった根拠を見つけることはできなかった。2014年にフォトグラファーJohn Cyr氏による、20世紀の高名な写真家が愛用していた現像バットの写真集『DEVELOPER TRAYS』という作品がある。アンセル・アダムスやサリー・マンなど錚々たる写真家の愛用品が登場するが、現像バットから持ち主の作風を読み取るという、相当にエッジの効いた写真集だ。

過去には、20世紀前半に活躍した写真家ウィージー(Weegee、本名アシェル・フェリグ)に関する記述から、1909年にはニュース通信社の現場でdeveloping trayの名称が使われていた、というところまで遡ることができた。一方で、露出計の発明者として知られる写真家・アマチュア考古学者のアルフレッド・ワトキンス(※)は、1902年に写真現像の手法を体系化した『The Watkins Manual of (Photographic) Exposure and Development』という書籍を出版している。この本(参照したのは1919年の第8版)では「Tank Development」に対する用語として「Tray Development」という単語が出てくる。「vat」の語は出てこない。このことから、少なくとも1900年ごろの英語圏で現像に使用する浅型容器は「トレー」であり、「現像バット」ではないと推測できる。
※「レイライン」という概念の提唱者でもある。びっくり。

ちなみにフランス語、ドイツ語で辞書を確認してみたところ、developing trayと同様の意味の言葉であるようだ。現代の辞書を引いたのみで、過去にさかのぼって見たわけではないものの、「日本の『バット』はフランス語由来」と確認することもできない。

日本はいつから「現像バット」なのか

では、日本で「現像バット」の名称が現れたのはいつなのか。日本カメラ博物館の学芸員宮﨑真二氏の『寫眞雑誌(脱影夜話)』全3冊に関する検証と考察によれば、日本では明治時代に日本最古の写真雑誌「寫眞雑誌(脱影夜話)」の第2号「ホトグラヒー」(上記文献では明治10年/1877年11月の寫眞雑誌第1号発刊後に続刊)に器具として「銀液を満たす『バット』」の名称が現れたとの記述がある。ガラス板を使ったコロジオン湿板写真術の現像工程を説明する実用記事で、バットに注ぐ薬液の量など詳細な指定があるという。

これが今回、検索可能な文献でさかのぼることができた「(現像)バット」の用語の最も古いものだ。雑誌は、「1876年にイギリス・ロンドンで発行された『ウィルヤムヘーウェー氏の実用写影術手記』」という解説書を訳述したものといい、元の文献のどこかで「vat」ないしは「vatting」の用語が現れ、器具の名称としてそのままカナ表記して日本語に取り込んだのではないかと推察される。

その後はだいぶ時間が飛ぶが、ホーロー製品メーカーの野田琺瑯のwebサイトにホーロー製現像バットの生産について記述がある。「戦災により工場が全焼したが、1947年に再発足し、バット・タンク・バケツ等の生産を開始。」とあり、1960年代のカタログには「写真現像バット」の記載がある。昭和22年(1947年)には薬液に強いホーロー製品が現像バットとして使われていたことが伺える。

現在の現像バットは樹脂製、またはステンレス製が一般的だが、明治~昭和初期にはこうした材料がないことから、他の素材で作られていた。軽くて丈夫、薬液の腐食に強いホーローが現像バットの材料として採用された可能性がある。いつ頃かという点については遡れていないが、「日本では1866年に桑名の大鍋屋広瀬与左衛門が鋳鉄ほうろう鍋をつくったのが最初です。ついで1885年、大阪の小田新助によって鉄板ほうろう鍋が開発され、1890年には陸海軍の食器として使われるまでになりました。」(一般社団法人日本琺瑯工業会サイトより)との記述から写真技術の発展と足並みを揃えて取り入れられたのかもしれない。

ほかには19世紀末、または20世紀初頭に磁器のdeveloping trayがイギリスなどで製造されており、ヴィンテージ品として今でも残っている。Taylor Tunnicliff & Company(テイラー・アンド・タニクリフ商会?)というイギリスの貿易商はGranitineという暗室用品のシリーズを取り扱っている。他にも深型の現像タンクなどがある。

仮説の整理と「調理用バット」へのミッシングリンク

上記のような事実を踏まえ、下記の仮設を立てた。

  • 明治時代初頭、日本にイギリスの湿式写真技術を伝えた人物が、イギリスの書物を翻訳した『実用写影術手記』という文献を元に現像用の薬液を満たす浅型容器のことを「バット」と呼称した(vatの意)。vatは主として何らかの溶液を入れ、上部開口部から作業を行うための容器である。
  • 英語圏では同様の写真現像用の容器をdeveloping trayと呼称しており、少なくとも1900年以降はこの用語を採用している。
  • 日本の写真史の初期に「バット」の用語を用いて技法の普及があったため、暗室作業を行う写真技術者、関係者にこの名称が定着した。
  • 写真現像用バットは「印画紙に合わせた長方形」「薬剤に強いホーロー製」といった特徴を持つ容器として製造され、普及した。

まだわかっていない点といえば、「現像バット」と「調理用バット」のつながりがある。日本で「バット」といえば写真現像を行わない人にとっては調理用品のイメージが強い。Amazon.co.jpでも調理器具のカテゴリーに「バット(調理器具)」があるほどで、深型浅型といった形状の違いから、ステンレス、ホーロー、フッ素樹脂加工といった素材別、すのこ付き、ふた付き、取手付き、サイズ違い入れ子式のように多彩な種類がある。「角バット」とも呼ばれる。ステンレス製品は元のステンレス一枚板から何枚のバットが取れるかによって「枚取」というサイズがおおよそ規格化されているほどだ。

一方で、英語圏に「調理用バット」という器具の名称は見つからない。「cooking vat」で検索すると、電気ヒーターでオイルや製菓材料などを加熱する厨房または食品工場向けの調理器具が出てくる。ターキッシュ・ディライトという砂糖菓子を作るための専用「クッキングバット」製品がトルコの企業サイトで見つかった。日本式調理用バットは、Amazonやアリババで「日本式(Japanese)」「天ぷらバット(Tempura Vat)」として販売されていたりする。日本同様の浅型の調理用器具はもちろん海外にも存在するが、圧倒的に「steam pan(スチームパン)」「food container(フードコンテナ)」になる。フードコンテナの場合は蓋付きが多い。

電熱式でないcooking vatが日本の「調理用バット」になった可能性はあるか。先にも述べたが、vatは元々「桶」をさす言葉だ。一足飛びに染色桶から卓上サイズの長方形のトレー型容器になるだろうか? という疑問がある。※染色バットとの関係性は検討の必要がある。

今回は戦後の「バット」製品史を掘り起こしたわけではない(特にステンレス製品の登場)ため、どこで「バット」が「現像用」「調理用」両方の意味で使われるようになったのかは不明だ。現段階では、現像バットが戦後日本で調理用品としても使われるようになり、「バット」の名称が移行。さらに「バット」は元の「vat」を離れ、浅型で長方形の容器をさす言葉として定着した、との仮説を立てている。次のような経緯が考えられる。

  • 戦後、昭和25年(1950年)の朝鮮戦争によるステンレス鋼需要の高まりから、日本でステンレス容器、器具の製造が盛んになった。進駐軍によるステンレス製キッチン用品(カトラリー、容器など)の推進もこれを後押しした。
  • 昭和30(1955年)年前後または以降、普及期のステンレス製現像バットを、汎用容器として調理用品に転用、製造販売した人物または企業があった。
  • 使いやすく衛生的、温度管理しやすくサイズの自由が効くステンレス製バットは、元の写真現像用の枠を超え、調理用品として広く普及した。
  • 長方形の浅型容器を指す「バット」の名称が広く普及
  • 「cooking vat Japanese style」といった「日本式調理用バット」として、逆に輸出されるようになる。Amazon.com、アリババといった通販サイトで普及する。

今後は、「日本に写真用『バット』の語が入ってきた経緯」「「現像/調理バットの戦後史」を中心に調べていきたい。