本記事は BAD ASTRONOMY 2013年3月4日 記事

No, Our Solar System is NOT a “Vortex”

を許可を得て日本語に翻訳、掲載するものです。快く掲載を許可してくださった天文学者Philip Plait博士に心より御礼申し上げるとともに、記事の趣旨が広く日本でも共有されることを願っております。

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なめらかな動きでコンピューターアニメーションが太陽の周りを周る惑星の動きを、天の川銀河を周る太陽軌道のように解説する動画について、ツイートやメールがたくさん来ている。とてもきれいな動画に、説得力のある音楽、ていねいな作りの画像。

しかし、問題がひとつある。間違っているのだ。間違いは表面的なものではなく、間違った前提からきた根本的なものだ。中にはいくつかの有益な視覚情報があるが、私は(銀河サイズの)話半分だと思っておくよう警告する。

なぜか? この主張の基礎は、”惑星は太陽中心の軌道を描いていない”というもので、代わりに銀河の周りを渦巻き状に移動している。

私は普段は、こうした物件のデバンキングはしない。奇抜な主張はいつでもあるし、たいていは自滅していくからだ。しかし、この件についてはたくさんの人が私に知らせてきたし、明らかにかなり人気を博していて、それはたぶん表面上は正しく見えるし、グラフィックもとてもきれいだからだ。どうやら、科学を知っているけれど、そこから離れて時間が経った人たちに広まっているのではないかと見ている。このような物件は、深堀りするためにはたいてい少し手間がかかるものなのだ。

そこで、シャベルを取り出してみよう。

■制御不能のらせん
まずは動画を見てみよう。数分程度のものだ。

動画の作者DJ Sadhuは明らかにコンピュータグラフィックスの才能がある。しかし科学は……まあ。私にはすぐさまこの動画が何を目指しているのかわかった。彼は、率直に、太陽系の太陽中心モデルは間違っている、と述べている。Sadhuの主張は、はなはだしく間違っているが、重力は存在しない、というようなものだ。

地動説とは、太陽が太陽系の中心にあるという考え方で、惑星はその周りを周っている(大切なのは、惑星の軌道は楕円で、お互いに傾いているということだ)。この考え方は、地球が太陽系の中心だという古い天動説にとってかわった。天動説は、それが機能するためにはあらゆる種類の奇怪な仮定を作り出す、とてつもなく複雑で考えすぎの物理モデルだ(手近にタイレノールが何錠かあったら、epicyclesを見てみよう)。地動説はそれよりはるかに物理的に正しいしはるかにうまく機能している。

ここに、彼らがつかった両方のモデルを記しておこう。もし特定の惑星が天のどこにあるのか知りたいなら、地動説座標を使うべきだ。われわれは地球に住んでいて、それは動かずに天の車輪が頭の上を回転して動いているように見える、それは理にかなっている。しかし、もし惑星へ宇宙探査機を送りたいなら、太陽中心システムが必要なのだ。地球も惑星も両方とも動いている、と考える方がはるかに計算は簡単になる。

Sadhuは、地動説は間違っていて、惑星の動きはまさに渦を描いて太陽の周りを周っていると主張している。彼が実際には何を意味しているかというと、渦ではなくらせんである。この二つは名前が違うだけでなく、物理的な動きも、その属性もまったく違うもので、らせんの場合は、太陽系のように粒子は相互作用なしに動くことができるが、渦の場合は抗力と摩擦を通じて互いに干渉する。

しかし、意味論的な論争はよそう。もう一度動画を見てみよう。Sadhuは太陽が惑星を導いていることを示し、先導しながら銀河系を移動している(2番目のビデオだともっとそれは明白だ)。これは単に誤解を招くだけでなく、完全に間違っている。時に惑星は、われわれが銀河の中で軌道を描くようにまさに太陽の前に出たり、ときにその後ろをついていく(それは、太陽の周りを周る軌道上のどこにいるかによる)。それこそがまさに天上の惑星を観測した真実であり、一般的にそれは天の一部で地球と太陽に先んじて天の川銀河を巡る軌道上の方向にあるように見える。

もう一度、ここで細かいディテールを主張することはしない。惑星は銀河を通って移動していくように太陽の後ろをついていく、という考え方がSadhuがらせんについて述べ、私が下の段落で説明(”こうした考え方はどこからもたらされたのか?”のセクション)しようとしていることだ。
しかしまずは、もうちょっと見てみよう。

■テイク2
ここに、太陽が銀河の中を移動していく様子を示したもっとひどい動画がある。

公平に言うなら、彼の現在の主張では惑星の動きはらせん状である。しかし、まだ惑星が太陽の後ろをついていくように描いていて、それは間違っている。動画の冒頭でかれは具体的に太陽中心と彼の解釈でのらせん状の動きを比較していて、誤った”太陽主導”の考え方を補強している。

彼の動画での太陽中心の動きを注意深く見てみよう。銀河を周る太陽の動きの方向は、惑星の軌道の平面と同じだ。しかし、これはそうではない。太陽系の平面は、車の前方への動きに対してフロントガラスが作る角度のように、銀河系に対して約60度で向かっている。

これは本当に重要な点だ:らせんモデルでは、惑星が太陽の周りで軌道を描くように銀河を周る太陽の動きは垂直に描かれている。お好みなら”正面向き”といってもいい。これが間違っている。なぜなら、惑星の軌道は60度で傾いていて、90度ではない。惑星は時に太陽の前に、時に後ろになる。これだけで、らせん描写が正しくないことがわかる。本当のモデル、地動説では、前進-後進に分けられるモデルになり、実際に天を観測して得られるのと同じになる。

しかしそれだけではない。動画では、太陽が銀河を周ることを示していて、らせんに沿って上昇、下降している。最初の動画のように、一部あっているところもあるが、大方は事実からかけ離れている。

われわれの銀河は、膨らんだ星の中心を持つ端から端まで約10万光年の距離がある平たい円盤だ。この円盤は10億の星を内包し、その重力が合わさって太陽を銀河の中心を周る軌道に留めている。ちょうど、太陽の重力が惑星を軌道に留めているのと同じだ。

太陽が銀河系を一周する軌道の長さは、およそ2.4億光年ではない。銀河を周回するように、太陽は実際にぴょこぴょこアップダウンを繰り返しており、動画に示されたよりも多いか少ないか(銀河の中心を周る軌道のたった約4倍ではあるが。Sadhuは1周回あたり数十回上昇・下降するとしている)

これは、この円盤では重力が働いているためだ。これこそまさにクールという話:円盤よりほんのわずか上にあるものは、円盤に向かって全体的に下へと引っ張られる。円盤が巨大な物質の板だと考えてみよう、太陽はその上にある。円盤の重力は太陽を中に引っ張り込もうとする。星と星の間は遠く離れているので、太陽は円盤の間を通り抜けて下へ降りていく。しかし、円盤は再び円盤の方へ向かって太陽を引っ張り上げる。太陽の動きは遅くなり、止まり、そしてもう一度円盤に向かって落ちていく反対のコースをたどる。銀河系の中心平面から一回の浮き沈みに200光年かそこらの時間がかかる:円盤には1000光年の厚さがあるが、わたしたちはその中にいつもしっかり留まっている。しかしこうした摂動は永遠に続き、太陽は大海のコルクのように浮き沈みを続ける。

太陽は銀河を周回しているので、合わさった動きはすてきな波のパターンになり、浮きつ沈みつ回転木馬のようにまわり続ける。ゆえに、Sadhuはこの部分に関しては(多かれ少なかれ)正しい。

だいたいはね。しかしここに3つ目の要素が加えられている。ひねったらせんを描く太陽の道筋を、彼は歳差運動の性質だとしている。この部分は間違っている。非常に間違っている。

歳差運動は、回るにつれて上部にぐらつきを生み、てっぺんにいると中心から外れる力を受けるということがおきる。コマのてっぺんを突くとぐらつく、それが歳差運動だ。地球自身も太陽と月の重力に引っ張られて歳差運動をしており、その軸の1回の揺れ周期は2万6000年だ。

明らかにSadhuは、動画の中でこれを表現している。しかし、ぐらつきは太陽にまったくなんの影響も与えていない。それはただ、地球が何かしているだけだ。しかし、Sadhuは銀河を周る太陽の動きを付け加えていて、それはどちらも意味をなさない。動画は銀河を周るコークスクリューを描いているが、時には銀河の中心に寄り、ときには遠くへ離れる動きを何度も何度も繰り返している。回転木馬のたとえでいえば、馬が真ん中で回って、上下に、また左右に動いているようなものだ。しかし、それは太陽の本当の動きではない。左右の運動なんてない(軌道ごとに何度も銀河の中心に向かったり離れたりするなんて)。Sadhuの示すコークスクリューパターンは、間違っているのだ。

動画と、解説文では、Sadhuはかなり頻繁に座標系と力と運動を混乱させている。

彼はなぜ、こんな正しくない運動を描くのだろう。それを掴むため、元になった文献をあたってみた。

■こうした考え方はどこからもたらされたのか?
動画と彼のサイトによると、SadhuはPallathadka Keshava Bhatという人のもとで学んだそうだ。Bhatによる”らせんの渦巻き:太陽系の動的プロセス”([原題]”Helical Helix: Solar System a Dynamic Process” リンク先PDFにつきダウンロードに要時間)と題された文章にこの考え方はすべて説明してあり、細かすぎる点は指摘しないが、ちんぷんかんぷんなものだった。まじめな話、どれもまったく意味をなさない。Bhatは地動説は間違っていると主張していて、その説を支持するために別の人を惑わすアイディアを用いているのだ。彼の主張をデバンキングするためにページを割くこともできるが、ここは短くまとめてみよう。

私はBhatの主張を何度も読んで、可能な限り好意的に考えようとした。私がかき集めたところでは、彼が言っているのは、太陽の動きによって、惑星は銀河系で太陽を先頭にして惑星が後をついていくコルク抜き状のらせん運動をする、よって地動説は間違っている、というものだ。Sadhuの動画の解説文によると、こうした動きをうまく描いているという。しかし、どれも完全に間違っている。もしそれが正しいのなら、外惑星(太陽から地球よりも遠くにある、火星や木星など)は太陽の反対側に遠く離れて見えないだろう。しかしいつだって、私たちには見えている。

それに、私たちは何度もほかの惑星へ宇宙探査機を送っていて、どれも今でもその軌道上にある。もしBhatがいうように地動説が間違っているのなら、探査機はいつになっても目的の惑星に到達できない。探査機を送るための軌道計算が間違っていることになるからだ。探査機の道筋を計算したときの銀河を周る太陽の動きなんて記録はないから、Bhat氏のいうことは正しくない。

太陽が太陽系の先頭で、惑星はその後ろをついていくという主張も、間違っている。太陽は、Bhatが主張し(Sadhuが動画で示して)いるように銀河系を通って弾丸の先頭のように太陽系を主導したりしていない。惑星は太陽の周囲を周り、全体が一つのユニットとして銀河系を60度の傾きで移動している。これは、銀河の軌道に沿ってときに惑星は太陽の前になり、ときに後ろに続くということを意味している。

これはちょっと、道を歩くあなたの頭の周りを、先っぽにボールのついたひもがぐるぐる周っているようなものだ(この円は60度傾いている)。ボールはときに頭の前になり、ときに後ろになる。道を歩くときには常にあなたと一緒だが、歩く速さには関係なく、相対的にはあなたと同じ速さでいつも移動している。あなたが自分の動きを線で表すとすると、ボールは傾いたらせんを描くだろう。これこそが、BhatとSadhuが説明しようとしたことなのだ。しかし、間違っている。

Bhatは、その文章の中でいくつもの間違いと論理的誤ちを犯している。たとえば、Sadhuの地球歳差運動の誤用についてBhatが何と言っているか読み取ろうとした。しかし、とても不明瞭で(それに単純ミス:かれは歳差運動の周期を22万5000年としているが、実際には2万6000年)ゴルディアスの結び目を解いているみたいだった。まだほかにも。彼は、もし地動説が正しいなら、日食は1カ月に1回起きなければならないと考えている(実際には、月の軌道の傾きによって46年か134年に1回である)。また、彼は、太陽中心軌道は不可能であると意味しなければならない、と結論付けた部分で、地球が太陽の周りを周る回転について根本的な勘違いをしているようだ(文書の30ページを参照のこと)。本質的に、私が読んだ文章の1ページごとに基本的な、根本的な間違いがあった。

そして、これがSadhu(間違っているにしてもステキな)動画が基礎にしているものだということだ、いいかい? いっておくが、もしSadhuのWebサイトをのぞいてみたら、あらゆる種類の……んー、おかしな陰謀論……9.11陰謀説から、ケムトレイルから、デイヴィッド・アイク(本当にまじめに、爬虫類型異星人がデンバー空港の地下に住んでいて世界を支配していると主張している)が怒り狂いそうなのから、名前程度のものまで見つかるだろう。私は、彼のほかの考え方を念頭に置くことにした。

■続きと、進行中のこと
DJ Sadhuの動画は、とてもすてきでそのうちいくつかは真実を元にしたものだ。しかし、私の意見ではBhatのゆがんだ宇宙に対する見方のせいで、その核心は失われてしまっている。

それが正しく見えて、クールに見えて、ものごとがそうあるべきだという感覚に訴えかけるようであったとしても。しかし、物事はどうあるべきなのか、いかにそれが普段は関わりあわないようでも。宇宙は本当にクールな場所で、かなりよくできた一連の法則で機能している。私たちはこうした法則を物理学と呼んで、それは数学で記述されており、すべてを理解しようと努力している、それが科学というものなのだ。

クールなものがすべて科学だというわけではないが、科学におけるすべてがクールだ。それは普遍的な一つの法則にはならないかもしれないが、私の見てきたすべてからすると、それにもかかわらず真実なのだ。