2016年10月、イラクの化学工場火災に伴う亜硫酸ガスの噴出を観測した、Aura衛星のイメージ。Nimbus7やMeteor3などの気象衛星に搭載されたTOMSを継承するオゾン監視装置“OMI”を搭載する。Credit:NASA
2016年10月、イラクの化学工場火災に伴う亜硫酸ガスの噴出を観測した、Aura衛星のイメージ。Nimbus7やMeteor3などの気象衛星に搭載されたTOMSを継承するオゾン監視装置“OMI”を搭載する。Credit:NASA

■2016年、イラクの化学工場火災

10月27日付けのABCニュースによると、イラク北部で人為的に発生した二酸化硫黄(亜硫酸ガス)が広がっており、NASAの運用する人工衛星から被害が観測できる事態になっているとの報道がありました。これは、イラク北部でISILが支配するモスルに近く、硫黄の化学工場があるアル・ミシュラクで発生したもので、ISILの破壊活動によって炎と煙に含まれる二酸化硫黄ガスが付近一帯に広がっているというものです。

モスル奪還に際して、ISILが手段を選ばない破壊活動をしていると伝えられていますが、その痕跡は人工衛星からどのように「見える」のか、またどのような衛星が何のセンサーを使って観測しているのか、整理してみました。

まずは報道による被害状況です。10月23日付けのアルジャジーラの報道によると、モスルの南側、チグリス川沿いのアル・ミシュラク周辺でISILが10月20日ごろに硫黄を原料とした化学薬品を製造する化学工場に放火し、付近に大量の二酸化硫黄のガスが広がっていると伝えています。イラク軍を支援する米軍は、付近のケイヤラに拠点を置いていますが、このケイヤラの病院には翌21日以降に呼吸障害や目の痛みなどを訴えて来院する人が増えており、付近の村では民間人2人が死亡したとイラク軍司令官による発表があり、1000人近くの人が被害を受けているとのことです。

ABCニュース報道では、モスルの南側およそ80kmほどの米軍の拠点では、屋外活動が制限されるレベルの化学物質が観測されており、自主的にガスマスクを着用しているといいます。また、イラク軍とクルド人部隊にはこうした装備が不足しているため、24000個の化学マスク提供を開始したとのことです。

こうした状況について、NASAの地球観測研究部門The Earth Observatoryは、10月22日に観測された衛星画像に見られる二酸化硫黄の噴煙の状況を発表しました。NASAサイトの発表から、観測の経緯を詳しく見てみます。

2016年10月20日、NASAの地球観測衛星Terra(テラ)とAqua(アクア)に搭載された同型の光学センサー“MODIS(モディス)”が、アル・ミシュラク付近で化学工場の火災が置きた際の熱を捉えました。翌日には、白煙が工場から広がり、Aura(オーラ)搭載のオゾン監視装置(OMI)とNASA/NOAA共同運用の気象衛星Suomi NPP搭載のオゾン観測装置(OMP)が観測したところ、二酸化硫黄のガスがイラク北部から中部に広がっていることがわかりました。二酸化硫黄はすぐに対流圏の最下層である惑星境界層(地上から高度1~2km程度)に広がり、風に乗ってさらに広がっているといいます。
観測にあたったミシガン工科大学のサイモン・カーン博士によると、相当な量の二酸化硫黄が対流圏の下層に広がっていると考えられるとしています。

[1]10月24日観測の二酸化硫黄観測結果を地図に重ねたもの。Credit:NASA
[1]10月24日観測の二酸化硫黄観測結果を地図に重ねたもの。Credit:NASA
NASAが発表した2点の画像の内、[1]は10月24日にOMPが観測した噴煙の広がりを地図に重ね合わせたもの。[2]は10月22日MODISセンサーが撮影した光学画像で、硫酸塩のエアロゾルが光を反射するため、白っぽく見えるものです。二酸化硫黄の噴出量は相当なものと見られ、カーン博士は「仮にこの二酸化硫黄が火山の噴火で噴出したものだと考えると、2016年最大の噴火が起きたことになる」とツイートしています。

[2]2016年11月22日撮影、MODISセンサーによるアル・ミシュラクの火災。上の白い噴煙が硫黄の工場からのもの。Credit:NASA
[2]2016年11月22日撮影、MODISセンサーによるアル・ミシュラクの火災。上の白い噴煙が硫黄の工場からのもの。Credit:NASA
このように、火災と二酸化硫黄の状況が衛星を観測した事例は、実はこれが初めてではありません。どころか、13年前にほぼ同じ状況で、同じ化学工場の火災を人工衛星から観測した事実があり、これが今回の発表につながっているのです。

■2003年、人工衛星から見えた亜硫酸ガス

2003年6月、同じアル・ミシュラクの化学工場で1カ月近くにわたって国営化学工場での火災が続いた事件がありました。総量で600キロトンにもおよぶ二酸化硫黄が大気中に放出され、人為的な二酸化硫黄源としては史上最大級となっているのです。

人工衛星(Nimbus7やMeteor3などの気象衛星)に搭載されたオゾン全量分光計TOMSは、1980年代から大気中の二酸化硫黄を観測してきた実績があります。オゾン層を観測するためのTOMSがなぜ二酸化硫黄を観測できるのかというと、二酸化硫黄を含んだ気体は、TOMSがオゾン量を測定するために使っているのと同じ波長の紫外光を吸収するからです。。ちなみに、同型のセンサーは日本の地球観測プラットフォーム技術衛星「みどり(ADEOS)」にも搭載されていました。

とはいえ、通常は二酸化硫黄は成層圏や対流圏の上層で観測されることが多く、火山性でない二酸化硫黄の放出を捉えたことはあまりありませんでした。人為的な放出で最大級のものは、ロシアのノリリスクにあるニッケル鉱山からの放出で、冬期の地上が雪で覆われて反射率が高まった時期に、十分な紫外線があれば観測できる、というものでした。

ところが2003年の6月24日以降、アル・ミシュラクの硫黄を精製する国営化学工場が放火され(燃え始めたのは6月25日とされています)、1カ月近くにわたる火災で硫酸や硫酸アルミニウムの原料となる推定5億トンもの硫黄が燃える事件がありました。火災の炎は、当時打ち上げから間もないTerraとAquaのMODISセンサーから捉えられ、続いてTOMSセンサーを搭載したEarth Probe(アース・プローブ)衛星が二酸化硫黄の観測を開始しました。約20日間にわたる観測の結果、二酸化硫黄はイラク国内からシリア、イラン、トルコ、アゼルバイジャン、カスピ海南岸にまで広がったことが確認されています。6月末には、化学工場から1350km離れたペルシャ湾の南岸にまで二酸化硫黄が到達しました。

火災と煙による環境と健康への影響は周辺100平方kmに広がり、モスル上空にも到達したといいます。付近の村では、火災直後に52ppm二酸化硫黄を吸って2名が死亡したとの報告もあります。二酸化硫黄濃度が人体に及ぼす影響は「50~100ppm」が「短時間(30分~1時間)耐え得る限度」とのことですから(横浜市の環境創造局の資料による)、すぐに避難できない状況下での52ppmという数値はとても危険なレベルだということになります。

この2003年の火災のとき、衛星による二酸化硫黄観測を開始したのが、先にコメントを紹介したサイモン・カーン博士らのチームです。このときもTerraとAauaのMODISセンサーがまず火災の炎を捉えました。このとき、EP衛星に搭載されたオゾン観測装置EP TOMSがイラク上空を通過するのは、UTCの7:00~8:00(現地時間では11:00~12:00)でした。6月25日から7月15日にかけて18日間の観測が行われました。

これまで、火山から二酸化硫黄を観測してきた際の経験からすると、太陽天頂角が低いときのエラーの度合いは10~22%ほどで、二酸化硫黄を含んだ硫黄エアロゾルを光が通過するときの光学的深さが中程度だとすると、どちらかというと二酸化硫黄の量を多く見積もる方にエラーがおきるといいます。また、地表の反射率が高い場合はエアロゾルの量を判定する衛星のセンサーは敏感に働くようになるといいますが、よく晴れたイラクの砂漠の環境では、反射率はそれほど高くありません。また、火山から放出された二酸化硫黄は高度3~4km程度から上昇を開始するのが通常ですが、今回は殆どが7kmより下方にあり、7月1日には10~15kmに達することがあったといいます。このことから、通常はEP TOMSがこんなに地表に近い層での二酸化硫黄を観測することはほとんどなく、今回の推定の二酸化硫黄の量は、かなり少ない見積もりなのではないかというのです。

この説明はそのままでは飲み込みにくいので、整理してみましょう。二酸化硫黄が観測しやすい条件は火山の噴火、または冬場のシベリアの鉱山ということでした。また、二酸化硫黄は、ある波長の紫外線を吸収することから衛星のオゾン観測装置で観測できるのでしたね。

【観測しやすい条件】
・冬期のシベリア:太陽天頂角が低い(光がななめに差し込む)→紫外線が大気を通過する距離が長くなる→紫外線が多く二酸化硫黄に吸収される
・冬期のシベリア:地表の反射率が高い→衛星のセンサーがよりたくさんの情報を集められる
・火山:二酸化硫黄が放出されるスタート地点が3~4kmなので、到達する高度が高い→衛星から見えやすい

といった要素があるのだと思います。これに比べてイラクは中緯度帯に位置し、しかも夏場です。衛星が上空を通過する時間帯も昼ごろの太陽が天頂に近い時間帯で、紫外線が大気を通過する距離はシベリアより短くなります。また、砂漠は反射率が低くて捉えにくい。かつ、山の上ではない地上からの二酸化硫黄噴出、とこれまでの観測例の反対をいくような観測しにくい条件が揃っています。にもかかわらず、観測できているということから、「これは相当量が放出された」と考えてよい、ということなのではないでしょうか。

化学工場の火災が増加する二酸化硫黄源だとすると、1日当たりの放出量は活発な火山の噴火に相当するといいます。28日間の累計の二酸化硫黄放出量は600キロトンと考えられ、エラーを考慮しても464~655キロトンの範囲で、1日あたりの量は21キロトンになります。EP TOMSによる二酸化硫黄の推定放出量とMODISによる熱赤外のデータを重ねたグラフを観ると、7月7~8日ごろまで大きかった放出量はその後減り始めています。これは、地上での消火活動が進んで7月8日ごろにはある程度まで鎮火してきた、という当時の報告と一致します。さらに後になって、事態がほぼ終息したころには、TOMSでの検出も限界に近づいています。

こうした13年前の経験があって、今回のアル・ミシュラクの化学工場火災でも、新たに衛星が二酸化硫黄の観測を行うことができたのだと思われます。地球の環境を調べるためにオゾンを観測する人工衛星が、同じセンサーを使って人災を観測し、被害を減らす方向に活躍できているとすれば、科学技術が設計当初とは違う目的ではあるけれども役立っているわけで、「あってよかったでしょう」と言いたい気持ちはあります。ただ、13年前と同じ場所、同じ工場で同じ放火による被害が起きているわけで、どうみても、「硫黄の工場に放火すると大きな被害が起きる」ことをISILが過去の経験から悪い方に学んでやっているわけですよね。火山の噴火のように、人為的にはコントロールできない大きな地球の活動に際して行うのであればともかく、今回の件に関しては、観測しているNASA、ミシガン工科大学をはじめとする科学者の方々も、内心手放しで喜べないと感じているのではないかと思わずにはいられません。